
1981年8月の武道館は、今もあのアルバムの中にある — One Night at Budokan《Michael Schenker Group》 — Shinichi Karube
人生で「これが音楽だ」と全身で感じた瞬間が、誰にでも一度はあると思う。
私にとってそれは、中学生のときに手に取った一枚のレコードだった。マイケル・シェンカー・グループ(MSG)の『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』——1981年8月12日、日本武道館での初来日公演を丸ごと収録したライブアルバムだ。
フライングVへの憧れ
当時、私は中学生だった。ギターを触るのが好きだったから、軽音楽部を作りたいと学校に掛け合って、部を作ってもらった。その軽音楽部で下手くそなギターを弾いていた。ドラムがちょっとできる、ベースをちょっとやってみたい、ピアノを習っていたことがある、といった感じで、友達が集まってきて、なんとなくバンドの形ができた。
バンドを組んで、放課後は練習に明け暮れていたあの頃。学校の近くにある楽器屋に入り浸るのが日課で、おじさんに話しかけては、いろんな話を聞かせてもらっていた。ついでに、自分では買えないようなギターをちょこちょこ触らせてもらったり、弾かせてもらったりもした。
マイケル・シェンカー・グループというバンドが好きだった。本物は見たことなかったけれど、雑誌を読んだり、借りてきたカセットテープの音源を聴いたりしていた。中でも、スタジオアルバムの『神(MSG)』は何度も針を落とした。
あのアルバムの一音一音を止めながら、マイケルのフレーズを必死に耳コピしていた。速いとか上手いとかいう次元の話ではなかった。一音一音に、言葉にならない何かが宿っていた。中学生の私にはうまく説明できなかったが、確かに「刺さってきた」。
当然、あのフライングVが欲しくなった。
コピーモデルと耳コピの日々
ギブソンのフライングV。当時の中学生に買えるはずがない。だから手に届くところにあったのは、グレコやフェルナンデスが作った、ギブソンやフェンダーのコピーモデルのギターたちだった。
楽器屋のおじさんから借りていたのか、自分でどうにか手に入れたのか——正直、細かいところはもう覚えていない。ただ、そのギターを抱えて、カセットを何度も何度も止めながら、マイケルのフレーズを必死に耳コピしていたことは、鮮明に覚えている。
ギブソンじゃなくてもいい。コピーモデルでいい。とにかく、あの音に少しでも近づきたかった。当時のギター少年たちは、みんなそうだったそんな気がする。もしかしたら、私だけだったのかもしれない。
中学生にできるバイトなんて、たかが知れている。新聞配達か、朝4時に起きて市場に行って漬物を並べるか、そんなことぐらいしかない。1時間働いても、300円ぐらいにしかならなかったかもしれない。そんなバイトをしてグレコやフェルナンデスを買って(買えたのか借りたのか定かではないが)、本物への憧れを、コピーモデルに乗せて弾いていた。
武道館の夜、本物と出会った
そんなある日、機会が訪れた。MSGのライブを観に行けることになったのだ。
『神(MSG)』で何百回も想像していた音が、目の前で、生身の人間から放たれている。その事実だけで、もう十分だった。会場の熱気、マイケルの立ち姿、フライングVを構えた瞬間の佇まい——すべてが「本物」だった。感動というより、もはや「確信」だった。音楽には、人を変える力がある、と。
「飛翔伝説」を手にした日
そのライブアルバムがリリースされた時、私はなけなしの金でそのアルバムを買った。人生で初めて手にした、ライブアルバムというものだった。それがこの『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』だ。
針を落とした瞬間から、何かが追体験された。オープニングのワーグナー「ワルキューレの騎行」が流れ出し、場内の緊張感が限界まで高まったかと思えば、マイケルの白黒のフライングVが咆哮を上げる。ゲイリー・バーデンのボーカル、クリス・グレンのベース——そしてコージー・パウエルのドラム。あの武道館の夜、私が全身で受け取ったあの衝撃が、盤の上に刻まれていた。
スタジオ盤では絶対に出せない「生の暴力」がそこにあった。自分が実際に目撃したあの夜が、そのままレコードになっていた。
楽器屋は焼き鳥屋に、フェルナンデスは消えた
あれから何十年も経つ。長い時間を経て、あの楽器屋があった道を偶然通りかかったことがあった。そこは焼き鳥屋になっていた。賑やかな看板を眺めながら、あのおじさんはどうしたんだろうな、とふと思う。もちろん、わからない。
そして少し前、フェルナンデスが破産したというニュースを目にした。1969年創業、あの時代のギター少年たちを支え続けた国産メーカーが、ついに幕を下ろした。楽器屋は焼き鳥屋になり、フェルナンデスは消え、あの頃の風景は少しずつなくなっていく。
それでも、あのアルバムをたまに聴くと、1981年8月の武道館の空気は、いまだにそこに封じ込められていた。あの夜、初めて日本に来たMSGが解き放ったあの音が、コピーモデルを抱えてロックを夢見た中学生の私を変えた、という事実とともに。
編集後記
軽部さんとは、私が20代に勤めていた会社の同僚として出会った。よく話もした。でも、音楽の話は、あまりしなかったな。
だから、軽部さんがあんなにも本気のギター少年だったとは、知らなかった。学校に掛け合って軽音楽部を作り、楽器屋に入り浸り、マイケル・シェンカーのフレーズを何時間も耳コピし続けていた中学生の頃のことを、この原稿で初めて知った。
バイクと酒とギターとZ指定ゲームをこよなく愛する昭和生まれ。映像制作の会社を率いながら、今もギターを手放さない人だ。普段の顔の裏に、あの頃の中学生が今もいるんだなと思うと、なんだか嬉しくなった。
今はなかなか会う機会も減ったが、たまに連絡を取らせてもらっている。久しぶりに話したい気がしてきた。
— Namio
Michael Schenker Group
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