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71才の人生で一番好きだったアーティストは、やっぱりジミヘン - Kenji Fukuoka
私の愛したアルバム

71才の人生で一番好きだったアーティストは、やっぱりジミヘン - Kenji Fukuoka

私はずっと、マスターは「ブルースの人」だと思っていた。71才の人生で一番好きだったアーティストはジミヘンだと迷いなく答えた福岡さん。高校時代のジミヘンとの出会い、唯一コピーできたLittle Wing、京都ブルースの洗礼、そして未だに飽きない一枚 Hendrix in the West。熱く語っていただきました。
目次
  1. 高校時代、ジミヘンに出会う
  2. Little Wing — 唯一コピーできた曲
  3. バラバラだった好み、ブルースで一つになった
  4. 京都ブルースの洗礼
  5. 本物の大御所たち
  6. Hendrix in the West — 未だに飽きない一枚
  7. 編集後記

私はずっと、マスターは「ブルースの人」だと思っていた。

愛媛県松山市。音楽の街と呼ばれるこの土地で、ライブハウス “9th” や “7th” を営んでいた福岡さん — 私たちが「マスター」と呼ぶ人だ。日本のブルースバンド、ウエストロード・ブルースバンドが好きだと聞いていたし、店に流れる空気もどこかブルースの匂いがしていた。

だから、電話で「一番好きなアーティストは?」と訊いて返ってきた答えに、私はとても驚いた。

「やっぱりジミヘンです。」

71才。音楽に人生を捧げてきた人が、迷いなくそう言った。

高校時代、ジミヘンに出会う

福岡さんがジミヘンを聴きまくったのは高校時代だという。

Jimi Hendrix — 1960年代後半、エレキギターの可能性を根底から変えた男。フィードバック、ワウペダル、歪み。それまで誰も聴いたことのない音を、たった4年の活動期間で世界に叩きつけた。

「当然コピーなどできるわけもありませんが、ヴードゥーチャイル、マシンガンなど、主旋律は口笛で一緒にノッてます。」

コピーできない。でも身体が反応する。口笛で主旋律をなぞる。それは「聴く」を超えた、音楽との一体化だ。若い頃のマスターが髪を振り乱しながらギターを弾いていた姿が、私には容易に想像できる。

Little Wing — 唯一コピーできた曲

「唯一バラードの Little Wing は何とかコピーして、大学一年のバンドでは演奏してました。」

Axis: Bold as Love - The Jimi Hendrix Experience のアルバムジャケット
Axis: Bold as Love — The Jimi Hendrix Experience

ジミヘンの楽曲の中で、Little Wing は特別な位置にある。1967年の『Axis: Bold as Love』に収められたこの曲は、わずか2分半。イントロのコードワークは繊細で美しく、ジミヘンの「激しさ」とは別の顔を見せる。

コピーできない曲だらけの中で、この1曲だけは弾けた。そしてバンドで演奏した。きっとそれは福岡さんにとって、ジミヘンと最も近づけた瞬間だったのだろう。

バラバラだった好み、ブルースで一つになった

大学一年のバンド。メンバーの好みはバラバラだった。

「ベースはビートルズ好き、もう一人のギターはブリティッシュロック、ドラムはジャズ好きで、もうバラバラだったのですが、これで行こうと統一方向が決まったのがブルースでした。」

ビートルズ、ブリティッシュロック、ジャズ、そしてジミヘン。方向性が全く違う4人が、唯一重なれる場所がブルースだった。考えてみれば、それは必然かもしれない。ビートルズもブリティッシュロックも、ジャズも、そしてジミヘンも — みんなブルースから生まれてきたのだから。

京都ブルースの洗礼

当時、京都では日本のブルースシーンが大きなうねりを見せていた。

「京都ブルースの大流行りで、ウエストロード・ブルースバンド、ブルースハウスなどに勉強させてもらいました。」

Blues Power - West Road Blues Band のアルバムジャケット
Blues Power — West Road Blues Band

ウエストロード・ブルースバンド。1971年に京都で結成された、日本ブルースの金字塔。永井“ホトケ”隆や塩次伸二を擁し、シカゴブルースを日本の土壌で鳴らした。

「今思うのは、彼らはブルースを日本人好みにした貢献者だと思います。大学時代はウエストロードをコピーしまくりました。」

本場のブルースをそのまま持ってくるのではなく、日本人の感性で咀嚼し、自分たちの音にした。その功績を、福岡さんは「貢献者」という言葉で表現する。音楽を長年見つめてきた人ならではの、的確な評価だと思う。

本物の大御所たち

「ジョン・リー・フッカーなどの本物大御所を多数、新宿厚生年金で楽しみました。一人で聴くときはオーティス・スパンなども好きです。」

John Lee Hooker — ブギのリズムで世界を揺らした男。Otis Spannマディ・ウォーターズのバンドを支えた、シカゴブルース最高のピアニスト。

「一人で聴くときはオーティス・スパン」— この言葉が好きだ。大勢で盛り上がるブルースとは別に、一人の時間に寄り添う音楽がある。それがオーティス・スパンだという感覚は、音楽を深く愛する人だけが持つ静かな贅沢だと思う。

Hendrix in the West — 未だに飽きない一枚

Hendrix in the West - Jimi Hendrix のアルバムジャケット
Hendrix in the West — Jimi Hendrix

『Hendrix in the West』は、ジミヘンの没後にリリースされたライブアルバムだ。1969年から1970年にかけてのステージを収録している。

Johnny B. Goode、Voodoo Chile、Little Wing、Red House — スタジオ録音とは別次元の、生きた音がここにある。特に Voodoo Chile のライブバージョンは、ジミヘンのギターが完全に「語っている」瞬間が記録されている。

福岡さんが高校時代に口笛でなぞった Voodoo Chile。大学で唯一コピーできた Little Wing。その両方が、このアルバムにライブテイクで入っている。

「未だに飽きない一枚、ジミヘンの In the West とウエストロードですね。飽きませんよ〜〜」

71年の人生で、何千枚ものレコードやCDを聴いてきたはずだ。その中で「飽きない」と言い切れる一枚がある。それは幸せなことだし、そのアルバムに出会えた高校時代の自分に、マスターは今も感謝しているのだと思う。

編集後記

私(ナミオ)は20代の頃、マスターのライブハウス “7th” でアルバイトをしていた。

そのおかげで多くの友人ができた。ミュージシャンとも知り合えた。毎日が刺激的で、音楽に溺れる日々だった。つたないギターでステージにも立たせてもらいながら、憧れのアーティストや、生涯切れることのない友人たちと毎日を過ごせた。とても幸せな日々だった。

それを、とてつもなく深い懐で迎えてくれたのがマスターだ。

実は、私の人生の師匠の一人なんだ。

このコラムは、その師匠から届いた一通のメッセージから生まれた。「71才の人生で一番好きだったアーティストは、やっぱりジミヘン。」— その言葉を、大切に届けたいと思った。

Hendrix in the West

Hendrix in the West

Jimi Hendrix

1970

Album Sweet で見る →

書き手

Kenji Fukuoka

Kenji Fukuoka

私(ナミオ)が音楽にのめり込む基礎を築いてくれた方。音楽の街・松山で、ライブハウス "9th" や "7th" を営まれ、多くのミュージシャンや音楽仲間が集う世界を用意してくれた方。私の Facebook のカバーにある Gibson 335 のギターも、マスター(愛称)から譲り受けたもの。自らもミュージシャンとして過ごされ、最後はライブハウスの提供という形で音楽に関われた方。現在の活動は秘密めいているが、お元気にされている。