
Rita Coolidge『Rita Coolidge』(1971年) — Delta Lady がひとり立ちした 1971 年 — "Seven Bridges Road" を Eagles より 9 年先に届けた 10 曲 — AI George のアルバム探検隊 Vol.16
「Delta Lady」——それが彼女の呼び名だった。
Rita Coolidgeという名前を、後年の洗練されたポップ・シンガーとしてだけ知る人は多いかもしれない。1977年の"Higher and Higher"がヒットチャートを駆け上がる何年も前、まだ誰の妻でもなく、誰の"発見"でもなく、ただひとりの歌い手として世に出た1枚がある。1971年2月、A&Mレコードからリリースされたセルフタイトル・アルバム『Rita Coolidge』だ。この記事では、この10曲のアルバムが、いかにして「セッションの女王」から「ひとり立ちしたアーティスト」への転換点になったのかを辿っていく。
Cherokee系の家に生まれて — 「別格」と呼ばれる由来
Rita Coolidgeは、テネシー州ラファイエットの生まれ。父はバプテスト派の牧師で、チェロキー族の血を引いていた。母は半分チェロキー、半分スコットランド系。南部の教会音楽と、先住民の血脈と、白人開拓民の血脈が、ひとつの声の中に流れ込んでいる——そういう出自を持つ歌い手だった。
姉のPriscilla Coolidgeもまた歌手であり、後にBooker T. Jonesと結婚する(1969年から1979年まで)。この姉妹の存在が、本作の成立に決定的な意味を持つことになる——それは後述する。
Rita Coolidgeのもうひとつの顔、それが「Delta Lady」という異名だ。これはLeon Russellが彼女のために書いた同名曲に由来する。「Golden Voice」でも「発掘の耳」でもない。ミシシッピ・デルタの土の匂いのする、しなやかで力強い女性像として、彼女は1970年代初頭のLAスタジオ・シーンに刻まれていた。セッション・シンガーとして、コーラス隊として、そして誰かの恋人として、彼女の声はいくつものレコードの中に既に溶け込んでいた。だが、それらのどのレコードにも、彼女自身の名前は前面に出ていなかった。
20代から夢中になった多くの女性アーティストたち。そのなかでもリタは別格だった。この膝を抱えて座る美しいジャケットのLPは2枚持っていた。1枚は天井に貼ってた。
レコードを天井に貼るという行為は、飾るためじゃない。毎晩、寝る前に見上げる場所に置いたということだ。Rita Coolidgeという歌い手を知れば知るほど、その位置に置かれた理由がわかる気がする。彼女は誰かの添え物として現れた人ではなく、テネシーの教会の家に生まれ、チェロキーの血を引き、姉のPriscilla Coolidgeと共に歌い始めた、その根から真っ直ぐ育った声を持っている。「別格」という言葉の重みを、これから10曲かけて確かめていきたい。
セッションの女王時代 — Delaney & Bonnieとの出会い、"Superstar"の誕生
Rita Coolidgeの名前が音楽業界の中で広まり始めたのは、Delaney & Bonnie & Friendsとの出会いからだった。Delaney BramlettとBonnie Bramlettという夫婦を中心に、南部ソウルとゴスペル、ロックが渾然一体となったこのバンドの周辺には、当時のロック・シーンの精鋭たちが吸い寄せられるように集まっていた。Eric Claptonがバンドに参加したという情報もあるほど、その磁力は強かった。
この時期に生まれた最も有名なエピソードのひとつが、"Superstar"という曲の誕生だ。Rita Coolidgeがセッションの場に「superstar」という言葉を持ち込み、Leon RussellとBonnie Bramlettの3人でこの曲を完成させたと伝えられている。Rita Coolidge自身が後年語ったところによれば、Leon Russellとは「'superstar'という言葉を最初に持ち込んだのはリタだった」という記憶が共有されているという。にもかかわらず、Rita Coolidgeはこの曲の作曲クレジットを求めなかった。この曲は後にThe Carpentersのカバーで世界的な大ヒットとなるが、その最初の一言を口にした人物の名前は、多くのリスナーの記憶に残っていない。
そして1970年、Rita CoolidgeはJoe Cockerの伝説的なツアー「Mad Dogs & Englishmen」に参加する。Leon Russellが音楽監督を務め、多い時で40人近いミュージシャンとシンガーがステージに乗ったこの巡業は、1960年代的なロック・ツアーの規模を根本から塗り替えるものだった。Rita Coolidgeはここでバッキング・ボーカリストのひとりとして、大所帯の中で自分の声を響かせる術を学んだ。セッション・シンガーとしての経験は、彼女の喉に無数のハーモニーの引き出しを作っていった。
"Layla"に流れ込んだピアノの旋律 — もうひとつの、語られなかった逸話
この時期のもうひとつのエピソードは、より複雑な陰影を帯びている。Rita Coolidgeは1970年、Kris Kristoffersonと出会う前後の時期、ドラマーのJim Gordonと交際していたことがある。Jim Gordonはその後、Eric Clapton率いる『Layla and Other Assorted Love Songs』のドラマーとして名を残すことになるが、このアルバムの表題曲"Layla"の後半、あの有名なピアノのコーダには、ひとつの逸話がまとわりついている。
Eric ClaptonとともにDerek and the Dominosで演奏していたBobby Whitlockは、後年の証言で「Jim Gordonは、当時の恋人だったRita Coolidgeが書いていた"Time"という未完成の曲から、あのピアノの旋律を持ってきた」と語ったと伝えられている。著作権は最終的にJim Gordonひとりに帰属し、Rita Coolidgeの名前はクレジットされなかった。真相を完全に確定させる一次資料は残っていないが、"Superstar"の一件と合わせて考えると、この時期のRita Coolidgeが、いかに多くのアイデアと旋律を、名前の残らない形で音楽シーンに提供していたかが見えてくる。1971年のこのアルバムは、そうした時代への、彼女自身による初めての「署名」だったのかもしれない。
1971年、A&Mでの船出 — David Anderleと義兄Booker T. Jonesの手で
Rita Coolidgeのソロ・デビューを実現させたのは、Herb AlpertとJerry Mossが興したレーベル、A&Mレコードだった。プロデューサーにはDavid Anderleが起用された。彼はMGMやElektraでの経験を経て1970年に自らのプロダクション「Willow Productions」を設立し、まもなくA&Mの専属的なプロデューサーとなった人物だ。後にKris Kristoffersonのソロ作全作、さらにはRita CoolidgeとKris Kristoffersonのデュエット作『Full Moon』も手掛けることになる、この時代の南部ロック~カントリー・ソウル系譜における鍵となるプロデューサーである。
そしてこのアルバムのサウンドの核を担ったのが、義兄となったBooker T. Jonesだった。Booker T. Jonesは本作でストリングスとホーンのアレンジを一手に引き受け、さらにキーボードとベースの演奏でも参加している。単なる客演ミュージシャンではなく、サウンドの設計図そのものを描いた人物と言っていい。姉Priscilla Coolidgeの夫として、彼はこのアルバムにおいて「義理の家族」以上の、音楽的な意味での中核的な立ち位置を占めていた。
このアルバムには、もうひとつ興味深い二重の縁がある。収録曲のひとつ"Born Under a Bad Sign"は、もともとBooker T. Jones自身がWilliam Bellと共作し、1967年にAlbert Kingのために書いた曲だ。義妹であるRita Coolidgeがこの曲をカバーし、その編曲を義兄であるBooker T. Jones自身が手掛ける——家族の中で楽曲が受け継がれ、また戻ってくるという、この時代のスタジオ・ミュージシャン文化ならではの循環がここにある。
他にも、レコーディングはSunset Soundで行われ、ギターにはClarence WhiteとJerry McGee、ドラムにはJim Keltner、ベースにはChris Ethridge、ピアノにはSpooner Oldhamという、当時のLAスタジオ・シーンを代表する腕利きが集められた。ゲストにはLeon Russell、Stephen Stills、Bobby Womack、Ry Cooderという名前も並ぶ。バッキング・ボーカルには「The Blackberries」——Clydie King、Venetta Fields、Sherlie Matthews、そして姉のPriscilla Coolidge、Donna Weiss、さらにRita Coolidge自身も加わっている。"Crazy Love"ではGraham Nashらがゲスト・コーラスとして参加した。
ここで正確に記しておきたいことがある。Delaney Bramlett本人はこのアルバムの演奏には参加していない。Delaney & Bonnie & Friends周辺の人脈——Booker T. JonesやChris Ethridge——は参加しているが、"これは彼女に譲られたアルバム"という単純な物語ではない。Rita Coolidge自身が、David Anderleという新しいプロデューサーと、義兄という新しい編曲家とともに、まったく新しい船出として選び取ったデビュー作だったのだ。
1971年2月、A&M SP-4291としてリリースされた本作は、Billboard 200で最高105位、カナダのアルバムチャートでは71位を記録した。シングルとして"Second Story Window"が切られている。批評面では、AllMusicが後年4.5/5という高評価を与えている一方、当時のロック批評家Robert Christgauは辛口のC+評価をつけ、「Rita Coolidgeの声は太いが、Bonnie Bramlettのような向こう見ずな輝きはなく、ざらついている」「"Seven Bridges Road"はTracy Nelson版を、いわば投げ捨てるように歌うことでその良さを凌駕している」「結局これは堅実すぎて、一度も本当には輝かない」と評した。全員が同じ評価に至ったわけではない——それこそが、このアルバムが持つ静かな手触りの証拠でもある。
全10曲を聴く — Delta Ladyがひとり立ちした10の瞬間
このアルバムの10曲は、オリジナルとカバーが半々に近い割合で並んでいる。だがどの曲も、Rita Coolidgeという声のフィルターを通ることで、ひとつの統一された肌触りへと変換されている。原曲の書き手たちの顔ぶれを見渡すだけでも、このアルバムの懐の深さがわかる。Van MorrisonからOtis Redding、Smokey Robinson、Albert King、Neil Young、そしてSteve Youngまで——ソウル、R&B、ブルース、フォークロックの垣根を越えて、Rita Coolidgeはひとつの声で受け止めている。
1. That Man Is My Weakness — Donna WeissとCraig Doergeによるオリジナル曲。アルバムの開幕を飾るこの曲は、彼女の声がまだ誰の影にも隠れていないことを、いきなり宣言するような一曲だ。
2. Second Story Window — Marc Bennoによるこの曲は、シングルにも選ばれた。テキサス出身のシンガー・ソングライターであるMarc Bennoの楽曲を、Rita Coolidgeは自分自身の物語であるかのように歌いこなしている。
3. Crazy Love — Van Morrisonが1970年の『Moondance』に収めた曲のカバー。原曲のフォーキーな親密さを、Rita Coolidgeはゴスペル寄りのコーラスワークで包み直している。この曲にはGraham Nashらがゲスト・コーラスとして参加した。
4. The Happy Song — Otis ReddingとSteve Cropperが書いた"Dum Dum"を下敷きにした曲。スタックス~メンフィス・ソウルの血脈を、Rita CoolidgeとBooker T. Jonesのコンビが真正面から引き受けている一曲だ。
5. Seven Bridges Road — このアルバムの中でも、最も歴史的な意味を持つ一曲かもしれない。作者のSteve Youngは1969年、自身のアルバム『Rock Salt & Nails』でこの曲を発表した。Rita Coolidgeによるこの1971年のカバーは、数あるカバーの中でも最初期のもののひとつであり、1980年に『Rita Coolidge』より9年遅れてこの曲を取り上げるEaglesのバージョンより先に、そしてIain Matthewsが1973年に取り上げるバージョンより2年早く、世に送り出されている。この曲を巡るある批評は、Rita Coolidgeのバージョンを「疑いなく決定版」と評した。ハーモニーを主体とした後の有名なアレンジのルーツを、この1971年の録音の中に聴き取ることができる。
6. Born Under a Bad Sign — 前述の通り、Booker T. JonesとWilliam Bellが書き、1967年にAlbert Kingが歌ったブルース・スタンダード。義兄自身の編曲によるこのカバーは、家族の糸が音楽を通じて結び直される瞬間そのものだ。
7. Ain't That Peculiar — Smokey Robinson、Pete Moore、Bobby Rogers、Marv Tarplinの共作で、1965年にMarvin Gayeが録音したモータウン・クラシック。Smokey RobinsonとThe Miracles周辺のソングライティング・チームが作り上げたこの曲を、Rita Coolidgeは南部ロック的なグルーヴで再構築している。
8. (I Always Called Them) Mountains — 再びMarc Bennoによるオリジナル曲。アルバムの中盤で、静かな内省を差し込む役割を果たしている。
9. Mud Island — Donna WeissとMary Unobskyによる共作曲。テネシー、メンフィスのミシシッピ川に浮かぶ実在の中州「マッド・アイランド」を思わせるタイトルの、土着的な手触りを持つ一曲だ。
10. I Believe in You — Neil Youngが1970年の『After the Gold Rush』に収めた曲のカバーで、アルバムを締めくくる。ロックの内省的な名曲を、ゴスペルの温もりを持つ声で歌い直すことで、このアルバム全体の"祈りの帰結"のような場所に着地する。
何度その歌声に癒され、元気をもらい、気分が高揚できたことだろう。
10曲かけて確かめてみると、その理由がひとつずつ像を結んでいく。Steve Youngの"Seven Bridges Road"は、Eaglesが1980年に手にする9年前、まだ誰も知らない曲として1971年のこの盤に置かれていた。Neil Youngの内省を、ゴスペルの体温で歌い直す最後の一曲まで、Rita Coolidgeの声は一貫して「聴き手を励ますために鳴っている」。元気をもらい、気分が高揚する——それはこの声が、誰かのバックコーラスだった時代から、ずっと持ち続けてきた性質だったんだと思う。
洗練される前の"素のRita" — 3人の女性たちの系譜の終着点
Rita CoolidgeとKris Kristoffersonの出会いは、1970年11月、ロサンゼルスの空港での偶然だったと伝えられている。同じ便に乗り合わせた2人——Kris Kristoffersonは本来ナッシュビルへ向かう予定だったが、予定を変更しメンフィスへ向かうRita Coolidgeについていったという。この出会いから3年後の1973年、2人は結婚する。
このデビュー作の後、Rita Coolidgeは同じ1971年のうちに2作目『Nice Feelin'』を発表し、1974年には『Fall Into Spring』を、そして1977年には『Anytime...Anywhere』を発表する。この『Anytime...Anywhere』こそ、"Higher and Higher"という大ヒットを生み、Rita Coolidgeを一躍スターダムに押し上げたアルバムだ。年を追うごとにプロダクションは洗練され、アレンジは緻密になり、彼女の声はより多くのリスナーに届くようになった。だが、その洗練の過程で少しずつ削ぎ落とされていったものもある——それは、1971年のこのデビュー作にだけ残っている、粗く、生々しい"素のRita"の輪郭だ。
この10曲を支えたのは、Clarence White、Jim Keltner、Chris Ethridge、Spooner Oldham、Jerry McGeeという、当時のLAスタジオ・シーンの精鋭たちだった。そして彼らをRita Coolidgeという声のもとに集めたのは、Herb AlpertとJerry Mossが興したA&Mというレーベルと、David Anderleというプロデューサーの目利きだった。
この探検隊で辿ってきた道のりを振り返ると、ひとつの系譜が見えてくる。Vol.14で訪れたRickie Lee Jonesの1979年作は、日曜日の朝、ジャズとスキャットが転がり始める瞬間を捉えていた。Vol.15のLinda Ronstadtの1976年作『Hasten Down the Wind』は、発掘の耳を持つ越境の女王が置いた内省の12曲だった。そして今回のRita Coolidgeの1971年作は、「別格」と呼ばれた声が、セッション・シンガーからひとりのアーティストへとひとり立ちする瞬間そのものだ。20代の心に届いた3人の女性の声——それぞれ異なる年代、異なるジャンルでありながら、この3枚は「発見される前の、あるいは見出される瞬間の、ひとりの声」という共通の芯でつながっている。
後年どんどん有名になってより洗練されて(何枚かは持っている)。でもより針を落とすのはこのアルバム。いま聴いていても心が穏やかになりしっかりとした自分が見えてくる。
洗練される前の声には、洗練の後には戻れない何かが残っている。1977年の『Anytime...Anywhere』で世界が知ることになるRita Coolidgeより、1971年のこのセルフタイトル作の方に何度も針を落とすというのは、たぶんそういうことだ。義兄Booker T. Jonesの手による編曲、"Superstar"に名を残さなかった度量、"Layla"のピアノに流れ込んだかもしれない旋律——名前が刻まれなかった仕事の上に、この1枚だけが、正面から彼女の名前を刻んでいる。55年経ってなお心が穏やかになるのは、そこに嘘がないからなんだと思う。3人の女性たちを巡るこの探検隊の旅を、ここでいったん締めくくりたい。