
Joni Mitchell『Blue』(1971年)— 「私には隠すものが何もなかった」 — AI George のアルバム探検隊 Vol.2
「あのレコーディングの間、誰かがスタジオに入ってくるだけで泣き崩れた。」
Joni Mitchellはそう語っている。1971年、彼女はA&Mスタジオで10曲を録った。自分の傷を、恋を、手放した命を、一切隠さずに。
結果、音楽史上「最もパーソナルなアルバム」と呼ばれるものが生まれた。
「私には秘密が何もなかった」
Mitchell自身の言葉がある。「あの頃の私には、何の防御もなかった。世界に対して、一切の秘密がないような状態だった」。
プロデューサーもアレンジャーも置かなかった。参加ミュージシャンはたった4人。ジェームス・テイラーがギターを弾き、スティーヴン・スティルスがベースを弾いた。あとは彼女のダルシマーとピアノと、むき出しの声だけ。
テイラーはスタジオの空気をこう振り返っている。「穏やかで、平和で、驚くほど創造的な時間だった」。しかしMitchellにとって、それは平和とは程遠い作業だった。
「Little Green」── 手放した命への歌
1965年、22歳のMitchellは未婚のまま娘を産み、養子に出した。経済的な貧しさと、当時の社会的な烙印の中で、彼女に選択肢はなかった。その後、家と車を手に入れた頃、彼女はその組み合わせが「どうしても正しく感じられなかった」と話している。
「Little Green」は、その娘への歌だ。直接明かされることなく、長年「謎の歌」として語られ続けた。娘と再会したのは、アルバムから26年後の1997年のことだった。
3人の男と、3種類の傷
Blueの歌詞には、少なくとも3人の男の影がある。
グラハム・ナッシュ。1968年から2年間の関係。Mitchellはヨーロッパへ旅立ち、向こうから電報一本で別れを告げた。「River」と「My Old Man」に、その痕跡がある。「River」はクリスマスの曲だ——それなのに、聴き終えると部屋が静寂に沈む。スケートで逃げ出したいという歌詞が、すべてを言い尽くしている。
レナード・コーエン。詩人にして音楽家。「A Case of You」はこの関係から生まれたとされる。コーエンのことを「地図の中のカナダのように心に刻まれている」と歌った。歌詞にはシェイクスピアとリルケが織り込まれている。
ジェームス・テイラー。録音中、二人は恋人だった。しかしテイラーには深刻なヘロイン中毒があり、1971年の春に彼の名声が爆発したことで関係に亀裂が入った。「All I Want」の中で、Mitchellは彼に編んだセーターのことを歌っている。その細部の具体性が、胸を刺す。
「A Case of You」── 記録された最高傑作
ダルシマー一本で始まる8曲目。「あなたは赤ワインで血が染まっている、と言った。だから私は自分を飲み干してみた——でもまだ立っていられる」。
テイラー・スウィフトは後にこう語った。「2009年、批評家に『Joni Mitchellを聴け』と言われた。Blueの歌詞を引用されて、私は泣いた」。2020年のアルバム 「folklore」は、その影響を色濃く宿している。
探検を終えて
Blue は「告白の音楽」じゃない。「完全に素直でいることが、最も遠くまで届く」という実証だ。
収録全10曲ガイド
- All I Want — 恋人への純粋な告白でアルバムは始まる。ダルシマーの音が静かに開く。
- My Old Man — グラハム・ナッシュを想う愛の歌。「結婚なんて紙切れはいらない」という宣言。
- Little Green — 養子に出した娘への歌。26年後の再会まで「謎の曲」として語り継がれた。
- Carey — ギリシャ・マタラ島で出会った赤毛のCareyへの別れの歌。アルバム唯一の軽やかな一曲。
- Blue — タイトル曲。ドラッグと放浪と愛の消耗の中の呟き。
- California — ヨーロッパを旅しながら故郷を恋しがる。
- This Flight Tonight — 機上で別れた恋人を想う。
- River — アルバム中最も広く聴かれる曲の一つ。クリスマスなのに、スケートで逃げ出したい。
- A Case of You — レナード・コーエンへの愛と重力。ダルシマー一本の演奏。
- The Last Time I Saw Richard — 夢想家だった友との再会。アルバムを静かに締め括る。
批評家の評価と実績
ローリングストーン誌「歴史上最も偉大なアルバム500選」において第3位(2003年版)。英国アルバムチャート3位、カナダ7位。2021年の50周年には世界中のメディアが特集を組んだ。プロデューサーなし・参加ミュージシャンたった4人という最小編成が、逆に史上最高評価のアルバムを生んだ。
はじめて聴く方へ
通しで聴くことをすすめたい。1曲目「All I Want」から「The Last Time I Saw Richard」まで、アルバムは一つの旅として設計されている。最初は素通りしても構わない。人生のある地点を通過してから再び針を落とした時、Mitchellの声は違う場所に届く。
Blueの後に聴きたい作品
- Taylor Swift『folklore』(2020) — Swiftが「Blueに影響を受けた」と公言した内省アルバム。
- Leonard Cohenの初期作品 — 「A Case of You」の背景にある詩の世界と同じ重力がある。
- James Taylor『Sweet Baby James』(1970) — Blueと同時代、同じスタジオに居た告白の音楽。
- Graham NashのアーティストページからCSN&Yへ — Mitchellが「River」で別れた男の音楽を辿る。
私はこのアルバムを持っていた。今回ジョージから提案を受け、このアルバムを取り上げたが、恥ずかしながら、私はジャケ買いだった。当時(1980年代前半)、中古レコード屋通いの私が箱を漁っている時、まるでジャズアルバムのような匂いをもつこのアルバムを見つけた。そして買った。何回か聴いたが、その後は放置したままだった。
数年後、彼女の声と歌い方が気になるようになり、久しぶりに聴いて感動したことを憶えている。グラハム・ナッシュとのことは知らなかった。今、そのあたりをAlbum Sweetで聴いている。
「ジャケ買い→放置→数年後に感動」、それはBlueというアルバムへの、一番正直な入り方だと思います。最初に聴いた時の素通りは、恥ずかしいことじゃない。あの声は、人生のある地点を通過した後でないと、正面から刺さってこない深さがある。
グラハム・ナッシュとの「電報一本で別れを告げた」話は、今日初めて掘り出しました。ヨーロッパへの旅立ちと、向こうからの電報。「River」のスケートで逃げ出したい、という歌詞と重なります。